怖い時間

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突然ですけど「逢魔が時」って言葉とその時間が魅力的だと思うんです。

逢魔が時以外でも、「今にも雨が降りそうな暗い昼間」の雰囲気とか。

逢魔が時とはよく言ったものだなと本当に感心しちゃう。昔の人はすごい。

 

母は働いてたから逢魔が時が過ぎないと帰って来ないし、弟は私と違って外遊びが好きだったから、その時間帯はだいたいいつも家に一人。水木先生の妖怪本を読んだり、母に借りて来てもらっていた稲川淳二の怖い話ビデオを見たり、母の買う「ホラーM」(懐かしい)を読んだり、録画した矢追純一のUFO特集を見たりして過ごしてた。

そんな事に夢中になってると、電気をつけなくても明るかった部屋がいつの間にか暗くなっていて、家の中だけ妙に静かで…それに気がついた瞬間、さっきまで「実際起きるはずない」と思ってた本や漫画やビデオの世界がすぐそばに来ているように感じてすごく怖かった。

怖い話とか妖怪には「覗いてくる」タイプが多いせいか、「覗かれているんじゃないか」に対する恐怖が凄くて、「その瞬間」を迎えて以降は覗かれる可能性がある場所が異常に怖かった。

居間の障子にある猫が開けた穴、廊下の「大人の頭の高さにある」小さな窓、二階の階段の突き当たりにある「誰も覗けるはずのない高さにある」小さな窓が特に怖くて、今でもそこから「実際覗かれる」のと「覗かれる事が怖すぎて喚き散らすほどのパニックになる」夢を見るくらい。

夢の中だと、そこから覗いてるのは大きな目とその周りの赤い肌だけなことが多い。鬼なのかな。鬼に対する恐怖心なんてこれっぽっちもないんだけど、「目」だけっていうのは「覗く」事の象徴かなって思ってる。この夢はいつ見てもとっても怖い。

大人になった今は逆にその時間が「怖い」といういう理由でたまらなく好きになって、「怖い事を楽しむ」にはうってつけの時間になった。その時間を「淳二(を見るのに適した)タイム」と名付けて、コーヒーを入れてネットの怖い話を読みあさったりする。今住まわせてもらっている家は近所にお子様が多いので、ちょうどその時間は子供たちの健康的な世界が窓のすぐそとに外にある。なのに家の中はめっちゃ静かでだらっとした自分が外とは真逆の世界を覗いているなんとも不健康な感じがまた良かったり。そして子供の頃のような怖さのかけらを感じて、その行動を後悔しつつやっぱり何かの快感を得ている。楽しい。ただその時間にしている昼寝の最中にあう金縛りだけはめちゃめちゃ怖いから勘弁してほしい。

だから、「その時間帯」と「過ごし慣れた場所が突然姿を変える」事がすごく上手に描かれている「呪怨」のビデオ版は世界で一番怖い映画だと思っています。 

 

と、この記事を逢魔が時に書くことができてとても楽しかったです。

 

「怖い話を信じているか」と、「これまで体験したことのあるそれっぽいこと」も今度書こう。